ぷつん。  髪の毛よりも細い鉄線は糸使いの指先にまつわる時のみ、キケロの如く雄弁なスポークスマンへと 変じる―――取り分け死と罪の報せに関しては。  ―――さて共に命を賭した愛すべき相棒「鉄線」どの―――  ―――何があった?何が起こった? 在るが侭の有様を述べよ―――  ―――ふむふむ、なるほど、へぇ、ふぅん―――  「そいつ」の執拗なまでの説明によれば、オレの放った最後の一撃は赤頭巾のシュートよりも早く 奴の体に届いたらしい―――そして左腕の筋繊維に分け入り、細っこくてすべすべとした少女の 繊手を綺麗さっぱり切断したらしい―――更にはその途中で人体の運営に必要不可欠な、左腕の 動脈がどうやら天へと召されたらしい―――つまりあの赤頭巾はもう死に体で、かなり穏当に評し ても余命幾許もない状態であり、以後の反撃はないとするのが順当な見解らしい―――論の尽きる ところ、オレはものの見事に赤頭巾との決闘に勝利を収め、その結果あいつの命を (終劇のように(落日のように(訪冬のように(夢のように(弁解の余地も無く))))) 奪ってしまったらしい―――何が云いたいかと云うと、まあ何というかその、オレは、また、生き、 延びて、また人の命を、蹂躙した、らし―――――――… (ああ) (オイ) (本気かよ―――くそったれが)  がんがんがんがん。伝聞調の無数の他人事はオレの脳みその中で凝まって、取り替える余地も無い 散文的現実へとスリ変わる。がんがんがん。頭が痛い。がんがんがん。誰の頭が痛い? がんがんがん。 心が、ぼくのこころが、この頭の中で痛んでる。がんがんがん。ああ、また死ねなかった、また生き 延びた、こうして、誉むべき死はこの手をすり抜け、土の褥は遠ざかり、永遠に続く憂愁の現が、ただ 一つ我が物となれり、 がんがんがん、  ああ、  痛い、  痛む、  痛む、  悼む、 「―――このッ!くそったれがぁ!巫山戯ンじゃねぇッ!!」  どかん。  たまらずに走り出す。走り出す列車に縋る人のように。そうすれば、まだ、何か決定的な喪失を 回避できるというように。  ―――無駄だ・ああ無駄だ・失敗はお前の中にある・  ―――胸の内側で固まって・お前の魂を掻き毟り・  ―――傷物としてしまった・もう戻らない・  ―――パンプティ・ダンプティ・還らない―――。 (うるせぇ)  ―――からからから・けらけらけら・  ―――ああ・たのしい・みじめだ・うたおう・わらおう。 (手前か。手前がオレの心臓の中でぶん反り返ってやがる―――)  ――― ticktack-ticktack! ・ PITTER-PATTER ・ PITTER-PATTER!  ――― PIT-PAT-PIT-PAT! ・ PIT-PAT-PIT-PAT!・ POUND-POUND ・  ――― Say・Hellow!・どくん・どくん・どくん・がん・がん・がん。 (黙れ。黙れちくしょうだまれだまれだまれ――――――) (もう) (やめてくれ。)  ―――錯綜し混乱していく内面とは別に、目の前の赤頭巾の生命は刻一刻と喪われていく。まあ 一も二もなく駆け寄ってはみたのだけど、特にやれることも無い訳で、オレは横たわったそいつの 虚ろな表情を眺めながら、ああひょっとしてオレも今こんな顔をしているのかな、とか思っていた。  ゆっくりと、赤頭巾の顔がこっちに向く。  長い睫毛が漣のように震える。―――眸が合う。  あー何だコイツ結構可愛い顔してたのな、とかそう云うのは、何時もたいてい斬った後に判る。 笑い話のようだが実際の所、殺してる間は器量の良し悪しなぞ考えの外だから仕方ない。  ゆっくりと唇が解ける―――もう血の通っていない、青い色の。  ―――はン。このバレッタ様とあろうものがなんてぇ様だ。  ―――テメエみたいなガキに殺られちまうなんて、極上の笑い話だゼ。  最後まで啖呵で通す気らしかった。  舐めるな糞女。訳判ンねぇ所で筋通すくらいなら、今すぐ喰らいかかってみやがれ。  ―――あぁ悪ぃな。何言ってるか、分かんねぇ。  んだとコラ。言い捨てか、  ―――見ての通りだ。血ぃ流しすぎて目の前も碌に見えねえ。  月も眠る真夜中だ。見えてる方がおかしいよ、  ―――耳も似たようなもんだ。  勇ましく鉄砲鳴らし捲くるからだ。耳にガタが来てンだよ、  ―――そういや、お前死神云々言ってたな。  悪いかよ、  ―――莫迦だぜ。  煩瑣ェ、  ―――死神が自分の命云々考える訳ねえだろ。  そいつは死神の勝手だろ、  ―――あたしは一分前はあたしの死は毛程も考えてなかったぜ。  そうかいお目出度いアタマしてやがんな、  ―――死にたいのに殺したいとかフザけんな。どっちか明確しやがれ。  青褪めながら説教打つな、  ―――そうでもないといつまで経ってもお前、半端者だぜ?  そいつはご機嫌だな、  ―――少し違うな。さっきのお前「だけ」はよかった。  手前の色眼鏡に適おうなんざ最初から思ってねェよ、  ―――シンプルなのが一番だゼ、何事もな。  そんな簡単に行くか莫迦、  ―――世の中の人間も魔物もこれが中々、素直になれねえ奴が多いんだが。  死にながら世の中語ンな、  ―――シンプルに研ぎ澄ました奴らがそいつらを狩るって寸法さ。  手前狩られてるんじゃねェか、  ―――あたしを殺せた奴が出来損ないでしたってのは、何よりあたしがムカつくからだ。  知るかよンな都合あるんなら死んでんじゃねェよ立ち上がって反撃してみやがれ、  ―――喋るのもウザくなって来たな。  おい、  ―――あたしもはもう休むぜ。  黙んなよ、  ――――――アバヨ。 (こつん)  稲妻のように反応した。  ―――やっぱりな!  判っていたぜ、お前がこの瞬間を狙っていたことを。オレが左腕を切り落としたとはいえ、右腕は まだ健在だ。お前が生粋の狩人だというのなら、今わの際、死体に成り下がる寸前に、必ず最後の 反撃を仕掛けてくる筈だ。だが甘かったな、そこは同じ狩人同士、オレは最後まで気を抜いたりは しない。右手の拳銃が音を立てると同時に跳躍、相手の射角から抜け出し背後から必殺の一撃を 叩き込む。赤頭巾のほうは見ない。この状況からの動きくらい見て無くっても判るよ、お前は半身を 起こし、右腕を上げ、誰もいない空間をポイントして唖然とした表情を―――――。    赤頭巾は地に倒れ伏したまま、わずかも動いていない。  いのちを喪って弛緩した右手が、拳銃を取り落としただけだった。 (あー)  赤頭巾の“背後”に回りこんだオレは振り上げた腕の始末に困った。  そこには糸が掛ってなかった。攻撃する気などなかった。  本当は判っていたんだ、オレだって、アイツが死んでいることくらい。 (―――――どう、すっかな)  ぶん、と妙に大雑把な仕草で右腕を振り下ろした。  想像の中で赤頭巾が最後の一撃を見舞う。オレの糸繰りとアイツのシュートが同時。結果、アイツは 首チョンパ、オレは心臓を打ち抜かれて然様なら。仲良く天国へと飛び立ちましたとさ。  もちろん現実のオレは生きている。あいつは死んだ。  だからオレはゆっくりとその場を立ち去る。あいつは永久に、ここに残されたままだ。  美術館を出ると、雨が降っていた。  夜の小雨は穏やかでイノセントだ。人を殺した後の夜に雨が降っていると、オレはいつも嬉しくなった。 そいつは優しくなりたいオレの心を巧みに解きほぐして、ゆっくり、ゆっくり、静かな眠りへと誘う。  けれども今日は違った。  腹が立った。  どうしようもなく腹が立った。 「おい。何だそりゃ手前」  右手の糸を手繰る。全身を捻って、星の無い夜空に向けて振りかぶる。  ぱしん、空中でいくつもの雨粒が切断され、霧となって降り注ぐ。畜生、ああ畜生、手応えがねェ。 「云いたいだけ云いやがって―――ッ!」  ずざり。ぬかるんだ地面に脚を取られ、重心を崩してスッ転ぶ。最後に放った一撃が見当違いの方向の 植木を切り倒していく様を見やりながら、ぐっしょりと濡れた地面へと倒れこむ。もどかしい。もっと降れ。 地にうじゃうじゃと蔓延る神の子らを根こそぎ掃討していくような、機関銃さながらの大粒の雨の方が良い。 ―――世界の優しさが鬱陶しい。今はもう誰にも、生きてて良いんだよと云って欲しくないのに。  いっそ、世界中の雨がここに降ればいいんだ。  そうして摩天楼も地面も屍も空も溶けて、世界が斜めになって、何もかも流れ去れ。      やがてオレの心中を察したように、天は雨足を強めていく。  御慈悲が遅ェよ、莫ぁー迦。  頬を伝うものが涙なのか、冷たい冬の雨なのか―――。  それを判じることは、オレにももう出来ない。                              【現在地:F地区・夜 決着】