「物語論(ドゥラマツルギー)に於いて―――」  切り出しはそんな調子だった。 「云わば人物心情の華、劇題の極地、物語を積み上げるときのいっとう優れた柱と云うべき、  最高のライトモチーフとは何だろう。もはや斜めに構えて劇場に向かうことしか出来ぬ、  熟練の冷やかしたちをいっぺんに黙らせて仕舞うようなテーマとは、果たして?  約めていえばだ、物語の最高の題材とは何か、そんな事を今、私は考えている。  ―――否、否、君達の云いたい事は判っているのだよ。  私は作劇の教授ではない。君たちどうしようもない兵隊どもの、どうしようもない上官だ。  そうして、羽筆を構えて机に向かっているわけでも、勿論無い。いかれた作戦を引ッ提げて、  ウィリアム・シェイクスピアの国を壊さんとしているのが、今の有様だ。そんな私が、何故?  文化の破壊者であっても擁護者ではありえず、解体の従卒であっても創造の信奉者ではない  私が、どの面を提げて不実にも作劇講釈を開陳しようと云うのか―――とね」    不思議と―――。  惹きつけられる語り口である。  とは云っても、快刀乱麻を断つ好弁と云った感は無い。聴講者への理解を慮ると云うよりは、 自らの感性の侭に舌を動かすことを良しとしているようだ。しかしながら、それが不思議と 出し物になっているのである。主語述語の判明な良文と云うわけでも、華のあることばを 巧みに組み上げた美文というわけでもない―――そう云った諸々の機微を超えて、ただ のらりくらりと取り止めも無く繰言を述べているだけのありさまが―――。  奇妙に鮮烈なのだ。  演説家の天稟とも云おうか。  この男の生まれ持った資質とは、そうした類稀な代物らしい。 「しかしながら、しかしながらだ。我々はただの兵科であるのかね。何よりも合理を重んじ、  殺戮の不条理を作戦の条理で以って転覆せんと企てるような、頭でっかちな“正気”の  称揚者であるのかね。違うだろう。我々は戦争のための戦争―――消尽のための消尽、  いわば非合理のための非合理を用件とする、この世の箍から外れたものぐるいどもだ。  つい四百年前なら阿呆舟に乗せられて河下りに勤しんでいただろう、ひとむらの気違いだ。  そうした我らが、いわゆる“合理的戦術”とやらの涼やかな声に、へこへこと阿諛追従し、  唯々諾々と従う謂れがどこにある?  違うだろう、そいつじゃないんだ、我らの主人は。  我々の戦いは勝利を目指すものでなく、また我々の敵はひとではなく、我々もまた、  ひとではない」  ただ、天性の演説家と云っても―――。 別段見目麗しい容貌の持ち主と云うわけではない。その正反対―――と云えば云いすぎに せよ、所謂美男子とは程遠いことは確かだ。明確と醜男と言い切るのは躊躇われるが、 少なくとも肥満体ではある。そのうえ上背も無い。身のこなしもどこかしら垢抜けず、 表情や雰囲気も人好きのするものではない―――そして、冴えない全体の雰囲気を裏切り、 ただ眼だけが、猛禽のごとくに鋭い。  けれども、そうした清艶さからは程遠い風貌が、なにやら山師めいた彼の口上に彩を 添えているのも確かである。つまるところ胡散臭さは芸になるという事なのだろうが、 ここで特筆するべきは、彼自身がさほど芸だ技だを重んじている気配はないと云う事だ。 言を重ねる事となるが、やはり彼には演説家の才がある。 「では我々は何に従うべきか? 何を尊重して、何を良しとすべきかのだろうか?  狂気というのは気侭なものだ。自由なものだ。しかしながら狂気本来のロジックを  喪ってしまった狂気と云うものは、忽ちに唯の錯乱と堕すのだ。  判りづらいかな? ならばこう云おうか、狂気とはもう一つの正気であるのだと。  人間存在の底には、何やら白濁がある。それが藝術やら何やらを生み出している訳だが、  ああ殺したい殺されたいと願う我らの渇望は、おそらくはそれと同根なのだろう。  言い訳じみて聞こえる? ははは、それでいい。我らは自分達の殺戮願望に理由付けを  したくてたまらない、低俗な殺し屋たちだ。  ―――だがしかし、理由付けはある意味で必要なのだよ諸君。振り下ろす刃の、捨てる  命の由来を問うという事は、ある意味において狂気の義務だとも云える。我々は問わねば  ならない。何故(warum)、と。ああ、勿論非合理なやり方でないと駄目だよ? 合理は  どうにも真理を濁らせる」 「そこに来ると作劇術と云うものは、なかなか勝手の云い流儀であるという事でしょうか」 「ああ、それだな。“勝手の良い流儀”、まさにそんな感じだ。博士(ドク)、君は時々、  恐ろしいほどの的確で私の心中を表してのける。そんな時私は、実は君は私なのでは  ないかと、思わず不安になるのだよ」 「恐縮の極み」  何やら―――。  会話らしきものが成立した。  ずるり。小柄な肥満体の男の他に、もう一人の男が暗闇から這い出した。こちらは――― うって変わって長身だ。西洋眼鏡を掛けた面長の顔に、白衣に包まれた長い手足。しかし ながら、その何処とは云えず立ち上る得体の知れない雰囲気は、なるほど確かに小柄の男と 一致している。 「では」と、長身の男。 「ふむ」と、小柄の男。 「いわゆる作劇のテーマなるものは、我々狂人に取って、倫理の代用物となりうる物だと」 「大雑把に云えば、そんな感じだ」 「故にここで最高のテーマなるものを問うことは、故無き事ではなく―――」 「だいだい合っているぞ、博士」 「―――しかしまあ少佐のことだ、まず遊び半分であることは間違いないでしょうが」 「ふむ。そこは完璧だ。申し分無く、合っている」  小柄な男がそう云うと、長身の男は顎に手を当てて思案をはじめた。  あたかも“私は物思うことには一日の長がある”といわんばかりの顔付き。むう、と少し ばかり唸ってから、突如我が意を得たりと云った表情で顔を上げた。 「そうだ、少佐。復讐、復讐などと云った所はどうか」 「復讐か。大デュマのような?」 「そう云っても構わないでしょう」 「成る程、復讐、復讐か―――確かに悪くは無い」 「でしょう?」 「だがね博士(ドク)―――復讐というものに付きまとう、あの一種の辛気臭さは何とか  ならんのかね。復讐者はときに命を賭して復讐劇の舞台に上がるというのに、時折ああも  惨めに見えてしまうというのは、どうも理不尽ではないか」 「成る程、たしかにそれはそうですな」 「しかし悪くは無い。惜しいぞ博士(ドク)、きっと復讐は近い」 「そうですか、それならば―――野望というのは如何でしょうか」 「どうにも取り止めが無い。そうして悪い事には、野心家は滅ぶのが世の通りと来ている。  野望の定義と云うのはね、博士(ドク)、おそらく自分は何も奪われずに、世界から  多くを掠め取ろうとすることだ。まあその意味で我々は、野心家ではないのだが」 「では―――恋愛は」 「何という苛烈な選択! 博士(ドク)、君はさんざん人間の体をいじくりまわわして毒の  効用などを調べたくせに、その苛烈さに気を使わないというのは良くないよ。恋愛はね、  云うなれば作劇に対する劇薬だ。場面を張り詰めさせることもできるが、少し量を  過てば、たちまちに演劇は死んで舞台は弛緩しきったものとなる。  決して作劇に恋愛を軽々しく持ち込もうとは考えぬことだよ、博士。私はすくなくとも、  今はそんなものとは無縁でいたい」 「いや、しかし、それだと―――さすがに、もう思いつかない」 「成る程成る程。博士(ドク)をして降参か」 「ええ、些か私には過ぎた題材のようです」 「ふむ」 「少佐は」 「何かね?」 「少佐はどうお思いなのでしょうか? 最高のライトモチーフとは? 熟練の冷やかしたちを  いっぺんに黙らせて仕舞うようなテーマとは、果たして?」 「成る程。次は私の考えを開陳する段と、そういう事かね」 「ええ、ええ、その通りです少佐。思うに事態は、その段まで来ている」 「とするならば、考えを打ち明けるに吝かではないのだが―――」 「どうしたのですか、少佐」 「いや何、引っ張ったわりには、別段面白い答えでも無いと云う事だよ」 「ははは。真理とはそうした物でしょう」 「まあその通りだ。有難う博士、君は時折私の心を軽くする。君のおかげで私は、軽佻浮薄の  弁舌家でいることが出来るのだよ。全く舌先三寸で世界と切り結ぶのは、どうにも心許ない」 「光栄の窮みに御座います―――それではそろそろ、ご高説を拝聴賜りたく」 「ふむ。では云おうか。思うに―――」  そこで男は、一拍間を空けて、 「―――思うに、罪と罰という主題だよ」 「罪と罰、でしょうか」 「その通りだ。罪悪感と云い換えても構わないかな?  さて。  何故人は罪を思うのだろうか? 手持ち無沙汰な時などね、君、無聊の慰めにと、先の大戦に  懐古の情を馳せながら、そんなことを考えていたのだよ。  過去とは過ぎ去ったものだ。今は、もうないものだ。それなのに何故? 今はもうないはずの  過去の幻影に、何故人は縛られる? そんなものはとっとと忘れて、素直に現在を生きれば  良いものを。  おそらくこの主題は、二つの通低音を孕んでいる。すなわち、歴史と、人の弱さとだ」 「歴史と―――人の弱さですか」 「その通りだ。恐らく人が過去を、記憶を、歴史持ちえたことは、人間の弱さに起因している。  そうでなければどうして、そんなけったいな荷物を持って歩くものか!」 「成る程、それは確かにその通りでございますなぁ」 「そうして我々はこの世界の産み落とした罪だ。臭いものには蓋をしろとばかり、皆して  意識の隅へと追いやってきた、輝かしからざる歴史の異物だ。しかしながらフロイトの言では  ないが、抑圧されたものは回帰するのだよ。忌み嫌って自らから切り離したとかげの尻尾は、  いつか必ず、持ち主のところへ戻ってくる」 「それがこの、万願成就の夜と云う訳ですか」 「過ぎ行く事柄も、過ぎ去った事柄も、未だ来たらぬ事柄も、何もかもが揃いも揃って、世界と  云うのは端倪すべからざるものなのだ。それを忘れた物は対決を強いられる。自らの忘却  との闘争、換言すれば歴史との闘争をだ―――さて」 「何でしょう」 「例の執事のことだが―――」 「ええ」 「様子はどうかね? あの赤頭巾を打破してからこっち、どんな具合だ?」 「何もかもが順調です。あの男は自らに課せられた総ての試練を突破しました。いえ、総ての  試練を突破し損ねた、と云うべきでしょうか?  ―――しかしながら、あれ程の大仕掛けを打ったのです。成功してもらわなければ困る」 「そうだな。平行世界を使った魂の試練=B我ながらここまでの莫迦を考え付くとは思わなかった。  ああ、私は大莫迦だ。一体どこの誰が、あんな大風呂敷を広げようと思う」 「と同時に、適切な手段でもありました」 「その通りだよ博士。彼は自らの上辺に張り付いた、ヘルシング家の執事≠ニしてのペルソナを  根こそぎに破壊してしまう必要があった」 「その心中の闘争の場として、あの平行世界を選んだわけですな」 「准尉の能力を解析するために積み上げた平行世界観測のノウ・ハウ、こんな所で役に立つとは  思わなかった。適当にそれらしく#怏゙騒ぎをやっている平行世界を見つけ出して、後は  まあ、催眠術半分魔術半分の、いかにもアーネンエルベ仕立ての仕掛けを打てば―――」 「彼の意識だけを、その莫迦騒ぎの只中に送り込める。それに際してはまあ、平行世界の住人に とっては現実でも、あの執事にとっては夢の中だ。検閲の弱まった彼の 希死願望は、思う様 暴れまわる―――と云った所でしたか」 「更に良くしたことには、あの世界にはもう一人の彼がいた」 「居ましたね。執事としての誇りに凝り固まったと云った感のある彼が」 「それを、あの少年は見事に打ち破った。生を望む彼の忠義芯を、死を望む彼の根源が打ち  破ったと云う訳だ」 「必然、彼の忠義は後退し、希死願望が前面へと躍り出る―――」                            、、 「そこで現れたのがあの赤頭巾だよ。それがまた良かった。同類との死合などと、彼の仕上げには  お誂え向きすぎて反吐が出るほどだ」 「何もかもが出来すぎていた、と云う訳ですね」 「ああ。そうして総ては、彼にとっては、夢の中の事だよ」  くすくすと。  低い笑いを漏らして―――小柄な男は、窓の外を見やった。  眼下には戦火がある。幾千の命が散らされて無残にも土に還る、その忌まわしき有様が有る。しかし どうしたことか、空中の高みから見る惨禍の炎は、星の瞬きのごとくに美しかった。ああ、誉むべき ものも、忌まわしきものも、遠く離れてみれば、いっしょくたに美しい。―――あるいはそれが、物語の 要件の一つなのかもしれないが。  それにしても―――と。  男は言を継ぐ。 「それにしても、それにしてもだよ。あの平行世界の莫迦騒ぎは凄かった」 「ええ。凄かったですね」 「本当にだよ。本当に凄かったよ、否、酷かったというべきか、兎に角なにもかもがあべこべで  出鱈目で、あんな騒ぎがあと一日でも長く続けば、世界の箍が外れてあまねく秩序が御役御免と  なっていた所だ。まったく誰があんなことをやろうと思ったのだ。誰があんな事を仕組んだのだ。  おまけに―――おまけにだよ、唯でさえ山が粉となるような大混乱だと云うのに、アレを仕組んだ  どこかの誰かは、シェイクスピア風の趣向まで凝らしてのけた。莫迦だ。ただの莫迦だ。アレ程の  幻想となれば管理するだけでも大変だろうに―――」 「一体、彼は―――或いは彼女は、何を考えていたのでしょうね」 「何も考えておるまいよ。―――否、深慮があったと云うべきなのだろうか。  しかしながらそれはあの津波と共に喪われた、いまや云々すべきでない、かつてあっただけの理屈だ。  それはかつて居た者たちによって、色々な仕方で解釈されたり誤解されたりして、今や消費された。  今更私たちが何かしら鑑みようとするのは、自己満足が過ぎるというものだ」 「成る程」 「今は唯、労いの言葉を投げようか。本当におつかれさま、と。  ―――さて、それではこっちはこっちで、やることをやろう。  今度は我々だぞ。あの森の莫迦騒ぎでは、沢山の者達がやるだけのことをやった。今度は我々なのだ。  我々の力で倫敦をああ≠オよう。先の祝祭を習うべき先達と見立て、英国中の街という街でアレを  再演しよう。主役は引き継がれても、演劇の中の世界は、永遠に反復されるのだ」 「しからば壊せ、永遠を演じるために壊せ、と云うわけですな」 「然様。まさしくその通りだ。ああどうしよう博士、私はこんなにも、戦争が好きだ」  そのためには彼にも頑張ってもらわなくてはな―――と。  矮躯の男は。  、、、、、  私のほうを一瞥しながら、云った。  しかしながら、まだ眠い。私は未だ生まれていない。  あの白衣の男に揺り起こされるまで、今はもう暫く、まどろんでいるとしよう。  次に目覚めたときにはきっと。  どうしようもない狂乱の巷が有る。  そこにはあいつがいる。あの吸血鬼が。夜族の王が。化け物の筆頭殿が。  つまりは、私の墓標が。  死神に殺されるか、あるいは死神になるかだ。  そうして死神に殺されるのをだらだらと待ち続けるのには、些か飽いた。  私が。  死神。