ボカロSS『PコードはREN=I』 ■【honpen】  あたしとレンは同じ部屋で寝起きしている。  ……なぁんてインタビューやトークで答えると、決まって同じ反応が返って来るんだけ れど、当然枕を並べて一緒に寝たりはしていない。  十畳程度の部屋の真ん中に二段ベッドを置いて領土を分割している。ベランダ側の日当 たりがいいスペースがあたしの領地。廊下側の暗くてじめじめして、エアコンからも遠い スペースがレンの領地だ。  あたしのプライバシーは完全死守。レンは二段ベッドの下段でいつも寝るんだけど、本 棚の背でしっかりと隠してあるからあたし側のスペースは窺えない。逆にあたしは上段だ からレンのスペースは見晴らし良好。二段ベッドの上からレンに話しかけるのは、我が家 でもっともありふれた光景だ。 「それだとレン君のプライベートはまったく無いじゃないですかー」なんて言ったのはど このインタビュアーだったかな。「いいんです、必要ないんです」と答えたら「ほんと仲 がいいんですね」と笑っていたけれど、そうじゃない。仲がいいとか悪いとかは関係ない。 ただ私の部屋の一部をレンに貸しているから、あいつにプライベートは必要ないんだって ―――そういう考えなだけ。  本当は自分の部屋が欲しい。もう子供じゃないんだから、同じ部屋で寝起きなんてして いられない。レンはあたしに部屋を譲って早急に出て行くべきだ。でも家は狭くて、まさ か居間で暮らすわけにもいかないからって、しかたなく部屋の割譲を認めたの。  そのことに対してレンは文句を言ったりしない。喧嘩にもならない。従順というよりは 無関心。二段ベッドで二人の距離が遮られるようになっても、レンは自分のペースを崩さ ずに生活を続けた。変化なんて感じていないんだろう。少しだけ二人の会話が減ったのも 別になんとも思っていないに違いない。―――あいつは昔からそう。演じるまでもなく優 等生をこなすけれど、だから「人間味がない」「主体性ゼロ」なんて陰口を叩かれる。  ……主にあたしから。  お金がないときは部屋に籠もっているに限る。学校も仕事もオフの日なんて珍しいんだ から、外で思いっきり遊ぶべきだっていうのは分かっているんだけれど、先立つものが無 ければ話にならない。学校があろうと仕事があろうと遊んでしまうあたしはこういうとき にお金を残せないから損をする。  買ったまま部屋に投げ捨てていた「mini」や「CUT」を読みつつ、だらだらと時間を潰 す。午後になったら図書館に行って詞のストックを増やそうかな―――なんて漠然と考え ていたときに、洗濯物を干し終えたレンが部屋に戻ってきた。  この時間になってもあたしが出かける準備をしていないのが意外だったのか、数秒ほど ぼーっと突っ立ってからようやく口を開いた。 「どっか行かないの。せっかくのオフなのに」  あたしは雑誌から視線を注いだまま「お金なーい」と答える。 「じゃあヒマなんだ」 「やることはいっぱいあるよー。次のアルバムの準備。レンが作った曲早く聴かないと」  レンが顔を歪めるのが気配で分かる。 「まだ聴いてすらいなかったのかよ。音源渡したの先週じゃん」 「これ読んだら聴く。詞も書く」 「絶対やらねー」 「あ、今のでやる気なくした。ほんとになくした。もう絶対に聴かないし書かない」 「……いいよ、じゃあオレが作詞するしオレが歌うから」  雑誌から目を離し、ばっと上半身を起こす。 「ソロデビュー?! レンがあたしを見捨てるって言った!」 「イヤなら聴けって」 「今日はオフなの!」  二段ベッドに上で寝転がるあたしを見上げるのに疲れたのか、レンは「あー、そうです か。じゃあ明日はやってくれよ」と適当な返事をすると自分の机に向かってしまった。  しばらく無言が続く。  別にレンは怒っていない。こんなことで怒りはしない。スケジュールを押したらさすが に応対も変わるだろうけれど、まだもうちょっとだけ余裕はあるのだから。  五分後ぐらいに、またレンから話しかけてきた。けっこう珍しい。 「つまり、リンは今日ヒマなんだな」 「さっき忙しいって言った」 「でもいまはヒマしてるんだろ」  それはまぁ、ぼーっと雑誌眺めててもつまらないのは確かだ。 「じゃあさ、ちょっと頼みたいことあるんだけど」  ぎい、と椅子を回転させてレンは再びあたしを見上げた。 「リンって、いま携帯いくつ持ってる」  なにその質問? 「確か、三つだけれど……」  仕事用と友達用とバンド仲間用。 「そのバンド仲間用ってなんだよ」 「え、だからバンド仲間用だって。ライブとかで友達できるよね? そいういうヒトって まず地元じゃないから、ふつーの友達とは分けておきたいなって思って。頻繁にメールと かするし」 「……それ、オレの名義で契約しただろう」  レンは低い声で言った。 「うん。あたし【docono】はブラックリストに乗っちゃって再契約できないから、レンの 名前借りた」 「勝手にすんなよ!」  レンが椅子から立ち上がる。 「請求書、オレ宛に来てるし。というか、オレも【docono】で新しい携帯買おうと思って いたのに、リンのせいで買えないんだけど」  あたしを責め立てるような口ぶりに、かちんと来る。 「だから、あたしの名前じゃ無理なんだって言ってんじゃん!」 「言い訳になってねえ」 「別に言い訳してないし」 「解約しろ」 「絶対にイヤ」 「じゃあ名義変更」 「誰で?」 「おまえで」 「おまえって言うな!」  枕をぶん投げてやった。レンはそれを甘んじて顔面に受け入れる。ダメージはまったく なし。その澄ました態度が余計に腹立たしい。 「ったく……とにかくさー。オレ、【docono】の携帯が必要なんだって。オレじゃ二回線 持てないから、リンのその携帯をどうにかするしかないんだよ」 「どうにかできると思ってんの?」 「いや、オレけっこー本気で頼んでいるんだけど」 「んー、本気かぁ……」  ベッドの上であぐらをかいて考える。レンがここまで粘るのは珍しい。そうでなくても 勝手なことをして若干の罪悪感はある。でも、このバンド仲間用の携帯は番号もメアドも 変えたくない。いちいち変更メールを送るのは最悪に面倒くさいんだ。 「あたしの【docono】の回線。未払いの携帯代を払えば、たぶん使用可能になると思うけ ど……」 「払えよ。犯罪じゃねーかそれ」 「お金無いって言わなかった?」 「……いくらだよ」 「貸してくれんの?!」  あたしの目が輝き出す。 「いくらだって」 「確か20万くらい」 「……」  あ、なんかちょっと本気で引いてる。すっごい哀れみの目で見られてる。  レンは深い、とてもふかーいため息を吐いてから口を開いた。 「貸しだからな。絶対に返せよ」 「え、本当に払ってくれるの?」  だって20万だよ? 「いや、払わないとまずいってそれ。冗談じゃなく訴えられるよ。んでマスターに怒られ るのオレなんだし。というか、ふつーにスキャンダルだよ」 「じゃあ貸して。払って」 「……リンの借金、これで63万だからな」 「一気に上がっちゃったね」  えへへへ、と舌を出す。  ―――【docono-shop】に行って、未払いの携帯代をレンが払って、いま契約している レン名義の携帯をあたしの名義に変更して、レンは新しくレン名義で新規契約をする。  ちょっとややこしいけど、そういうことで落ち着いた。本人確認のため、 【docono-shop】には二人揃って行かなくちゃならない。  どうせヒマなんだから今すぐ行こうとレンは急かす。かなりめんどくさいけれど、払っ てもらう手前、あたしは渋々でも了承するしかない。 【docono-shop】って隣町の繁華街まで行かないとないから、それなりに準備しなくちゃ いけないんだよね。あー、せっかく今日はごろ寝日和だったのに。  渋々とベッドから降りて準備を始める。シャワー……は、朝に顔洗ったからそれでいい かな。名義変更終えたら帰るんだし。  寝間着代わりに使っている昔お気に入りだったバンドのツアーTシャツを脱ぎ捨てると、 部屋に散乱している私服の中から適当にレースをあしらったカットソーを拾い上げる。  部屋着のハーフパンツもキュロットスカートに履き替えて、ユルめのパーカーを羽織れ ば外行きの格好は完成だ。  ―――あ、そういえば髪の毛セットしてない。慌てて洗面所に行こうとして、あたしは ふと気付く。  レンと一緒にどっか出かけるのって。  なんか久しぶり。  一緒に暮らしているし、仕事でも一緒だけれども。  こういう風に二人で出歩くなんて。  ずーっとなかった。  なかったのに。  レンは先に支度を終えて玄関で待っていた。べたべたとスリッパの足音をたてながら階 段から降りたあたしは、彼の格好を見て愕然とする。  え、なにその服装。正気?  オーバーサイズのフットボールシャツに、無駄に太いハーフ丈のバギーパンツという立 ち眩みを覚えるコーディネイト。首にヘッドフォンを引っ掛けて、頭にはダメージ加工さ れたメッシュキャップを目深に被っている。 「うげー」  思わず声を出す。 「なにそれ? B系? B系なの? ヒップホップなつもりなの?! よぅめん! ラップ歌 いも書きもしないくせにそんな格好しちゃってんの?!」  ないないないない絶対にあり得ない。そんな格好であたしと並んで歩くなんて許されな い。B系? ヒップホップ? 本気で勘弁してほしいんだけど。 「キモいキモいキモいキモい! なにその勘違い。やめて今すぐ着替えて痛すぎるから!」  レンの眉毛がひくひくと踊る。 「別にB系なんかじゃねーし。ただのアメカジだろ。過剰反応しすぎなんだよ。だいたい なんでリンにファッションチェックされなくちゃいけないんだって。まさか、スーツでも 着ろっていうのか?」  あたしは泣き顔を一瞬で引っ込める。 「いいじゃんスーツ。すっごく萌える。スーツ着てよ」 「イヤだよ。ていうかおまえのほうがよっぽどキモいよ」  ずびし、とレンの脛に蹴りを打ち込む。 「おまえって言うな」  レンは脛を抱えてうずくまった。その頭上にあたしは容赦なく言葉を浴びせかける。 「さっさと脱いで」 「痛ぅ……」 「前にストライプのパンツとジャケット買ったよね。細めのやつ。それでいいじゃん。ジ ャケットの下はロンTでさ」  レンは苦悶の表情であたしを見上げる。 「あれはステージ衣装だよ……あんなの私服で着られるわけないだろ。ていうかおまえ、 また勝手にクローゼット覗いたな」 「おまえって言うな」  今度はかかと落とし。それはさすがにレンも避ける。あたしは構わず言葉を続けた。 「ステージ衣装? 関係ないって。そんなB系より全然いいじゃん。着てよ着てよ」 「だから無理だって。恥ずかしいっての」 「ステージじゃ着るくせに!」 「【docono-shop】はステージじゃないだろ?!」 「もういいよバカ! なんでもいいからさっさと着替えて!」  顔面にチョップをくれてやる。これはクリーンヒット。レンはぶつぶつと文句言いなが ら(ついでに鼻をさすりながら)二階へ戻っていた。  ……やっぱB系はないよ。うん、B系だけはない。  五分後。レンはウエスタンチックな水色と白のチェックシャツに色落ちしたジーンズと いう、とてつもなく無難な服装で降りてきた。ヘッドフォンは外したけれど、キャップは 被ったまんまだ。―――どうしてそのかわいい顔を隠す! 「リンもサングラスとかしろよ。素顔で出かけるつもりじゃないだろうな。またマスター から怒れるよ。主にオレが」  レンは下駄箱からビンテージっぽいバスケットシューズを取り出した。 「自意識過剰ー。別に芸能人じゃないんだから」 「いや、オレたち一応芸能人だから」  靴紐をきゅっと結んでレンは言った。……はぁ、どうしてその服装にバッシュなんて選 ぶんだろう。普通にカジュアル系の革靴でいいのに。 「あたしたちはアーティスト。もしくはミュージシャン!」 「だからそれを芸能って呼ぶんだって」 「かっこ悪いから却下」 「いいからサングラスかけろって」 「やだー!」  あたしはスエード素材のハイカットスニーカーで足下を飾る。色は大人しめのレモンイ エロー。これで駅まで走り抜けるんだ。 「オレは自転車で行くけどな」  因みに駅まで徒歩十五分。  ……うん、やっぱあたしもそうしよう。レンの後ろに乗っけてもらおう。  駅のホームに着いてからも鈍行に乗ってからも、特に会話という会話はなかった。  あたしはここぞとばかりにたまっていたメールを返信する。鏡音リン七不思議のひとつ は、なぜか家ではメールを返す気になれないことだ。  レンは無言であたりの景色を眺めているだけ。駅では向かい側のホームの様子を。車内 では窓から覗く、流れる風景を。  深刻な横顔。まるでなにかを思い詰めているかのよう。こういう表情をするときのレン は、必ず「作曲家モード」にスイッチが入っている。周囲の様子や喧噪からインスピレー ションを拾い出そうと五感をフル稼働させるんだ。  料理の前の具材集め。  あたしはそんなレンをよく吸血鬼に例える。そんなに必死になってネタを吸収していた ら、いつか風景という風景がよぼよぼに枯れ果てちゃうよ、と。それくらい「作曲家モー ド」のレンは真剣なんだ。……それで愉しいのかは、よく分からない。  ただ、いい歌は書く。それだけは本当。  鈍行で十分ぐらい揺られて、ようやく隣町に到着。都心部には敵わないけれど、ここら へんでは一番栄えている繁華街が待っている。当然、ヒトも多い。  あたしは(適度な)人混みが好き。たくさんのヒトがいれば、それだけ面白そうなヒト を見つける可能性も高くなる。友達やマスターの耳元で「あのヒト見て見て。すっごいよ ー」と囁いてくすくすと笑うのは半分日課になっていた。 「あれはたぶんあのバンドのファンね。ファッションで丸わかり」 「あのジャケット、あんな着方はないよねー」 「レンってああいう子好きでしょー」 「あ、いまの子この前ライブで見た!」  ―――なんて、別に返事が欲しいわけでもないからひとりでしゃべっていたら。 「……なぁ、リン」 「うん?」 「うるさい」 「ええ?!」 「うるさいんだよ!」  頭を両手で鷲掴みにされて、がしがしと振り回された。あたしはレンの脇腹に拳をぼこ ぼこと叩き込んで応酬する。 「独り言だし。レンに話しかけてるわけじゃないし」 「オレの耳元でか」 「耳元で、だよ」  文句あるのかー、と腕を組む。レンは渋い表情であたしを睨むけど、反論はしてこない。 周囲の様子を気にしているんだろう。さっきからちょくちょく視線が突き刺さってる。何 人かはあたしたちが「鏡音リン」だって気付いたのかもしれない。  レンはプライベートでファンの子たちにわいわいきゃーきゃーされるのがすっごく苦手。 だから何かと注目を避けようとしている。いまも、一刻も早く【docono-shop】に逃げ込み たいと思っているに違いない。  ……うーん、相手がファンなら自分のことが好きだってことなんだから、安心して仲良 くなれると思うんだけどなぁ。ファンの子にサインねだられて、勢いでプリクラまで撮っ ちゃうなんてよくあることだし。自分の歌聴いてくれるんだから、それくらいのサービス は全然ありだよ。―――そんなあたしに対するレンの返答は、いつでも「そんなだから掲 示板でぼこぼこに叩かれるんだよ」  別に掲示板なんて見ないし! 「レンは色々と考えすぎなんだよ」 「リンがなんにも考えてないからな」  むっと唇を尖らせる。 「考えてるよ、今度のアルバム用の詞のこととか!」 「大嘘じゃねーか!」  それは確かにその通り。  あー、ほんとどうしようっかな。まだ曲すら聴いていないけど。 【docono-shop】での手続きは淡々と行われた。名義変更はもちろん、滞納していた通話 料金の支払いだって小言のひとつすら言われなかった。……レンが紙封筒からお札をたっ ぷり二十二枚抜き出したときは、さすがに窓口のお姉さんもぎょっとしていたけれど。  まぁしょうがないよね。あたしたちみたいな歳の子がそんな大金持ち歩いていたら誰だ って驚く。あたしだって驚く。レンってばほんとお金持ち!  肝心の新規契約。レンはスライドタイプの携帯電話を買った。色は硬質なクローム。同 機種に鮮やかなひまわり色があったから、そっちにしろ、絶対そっちのほうがかわいいっ て言ったのに、レンは「いま持ってる携帯が黄色だから」という理由にならない理由であ たしの提案を却下した。別に二つとも黄色でいいじゃん!  こうしてミッションはコンプリート。用事を終えたのだから帰ってもいいんだけれど、 せっかく外出したんだからついでに食事ぐらい済ましておきたい。レンはともかくあたし なんて、もう三時過ぎだっていうのに今日はまだなにも食べてないんだから。 「お腹減ったー。カラオケでも行こうか」  レンは怪訝そうに眉を歪めた。 「なんでお腹減ったらカラオケ?」 「え、基本だよ。安いし、ドリンクバーだし、個室だし、食後の運動までできるし。そう いえばレンとはすっかりカラオケ行かなくなったねー。久しぶりに一緒に歌おうか」 「ほとんど毎日一緒に歌ってるんだけど……」 「だからカラオケでだって!」  レンはキャップ越しに頭をかいた。 「オレ、夜はスタジオに行かなくちゃだからなぁ。レコード会社と打ち合わせもあるし。 ご飯はともかくカラオケまでする時間はないかも」 「はー、レンは真面目だねー」  あたしの三十倍ぐらい仕事熱心なんだ。 「ほんとはリンも行かなくちゃいけないんだけどな」 「夜に出歩くと補導されちゃうもん」 「ライブ遠征のときは平気で夜行乗ったり終電逃したりするくせに。不良娘め」 「聞こえなーい。あー、お腹減った」  しかしレンがカラオケに付き合えないなら、他の選択肢はマックぐらいしかない。  レンは露骨にイヤな顔をする。 「マックー? そんなのいつでも食べられるよ」  言うと思った。 「あたしはいまお腹減ってるの!」  繰り返すけど、お金は持ってない。  しょうがねーなー、とレンは大袈裟にため息をこぼした。 「オレが奢るよ。近くに行ってみたい店があるから。そこでいいなら―――」 「やったー! レンの奢り。今日は夜、レンいないから夕飯の分まで食べていいんだよね。 がっつり食べちゃおう。お肉お肉ー」 「……さて、帰るか」  回れ右をしようとするレンの肩をぐわしっと掴む。 「自分の発言には責任をもって、大人しくあたしをその店に連れて行きましょう。じゃな いとあそこの安楽亭に誘拐しちゃうよ? 特上カルビ大盛ライス!」 「リンの贅沢は大盛りライスかよ。しかも安楽亭って。叙々苑とか言えないのか」 「え、叙々苑でいいの?」 「……リンがオリコンで一位とったらな」  言ってからまずいと思ったらしい。レンは慌てて視線を逸らしたけれど、もう遅い。あ たしはにまーっと笑い、言ってあげる。 「それってあたしたち≠ネら、そんなに遠い話じゃないよね」  新進気鋭。超急成長。大注目株。そんなキャッチコピーですっかりドレスアップされて しまった鏡音リンとレンならば。  あたしたちの名称は、"featuring REN"とも"duet with REN"とも表記せず、ただの鏡 音リン=B一見するとソロアーティスト。でも鏡音リン≠ヘあたしとレンのユニットで あり、バンドでありグループでありチームなんだ。もちろん、家族でもあるよ。  あたしとレンならなんだってできる。それは昔からの合い言葉。 「ミリオン達成ぐらい言っておいたほうがいいんじゃないの?」  ばーか、とレンは笑う。 「どっちにしろ同じことだよ。オレたち°セ音リンなら、それすら遠くないんだろう?」  それはそうだ。レンが高級焼肉店を奢ってくれるという結末は変わらない。  でもいまは、まだ見ぬ叙々苑よりも目先の安楽亭。……じゃなくて、レンが気になって いるとかいうお店。どこでもいいからさっさと連れて行って! 「……確かに、どこでもいいとは言ったけど」 【docono-shop】から歩いて十分。某有名百貨店の裏にあったそのお店は、どーう考えて もあたしたちみたいなお子様がお邪魔する雰囲気ではなかった。 「びーちさいどれすとらん?」  ビーチサイド・レストラン。お店の名前は……書いてあるけど読めない。英語なの? どんな発音なの! とにかくハワイアーんでとろぴかるーな感じ。ドレスコードはビキニ ですか? お会計はココナッツ? お洒落なのはけっこうだけれど、いくらなんでもこれ、 あたしたちが入ったら浮きすぎると思うよ。背伸びしたい年頃だとしても、相手がレンじ ゃなんの意味もないし。 「ここ意外と安いらしいよ。学生がよく集まるらしいし」  しれっとレンは言う。え、びびっているのあたしだけ? なんでそんな落ち着いている の。レンってばいつの間にかそんな大人になったの。 「そりゃ叙々苑に比べたら安いよねー。……ていうか、学生ってそれ大学生のことじゃん。 テラス席のどこにも中学生なんていないじゃん!」 「でも家族連れはいるし。リンが意識しすぎなんだよ」 「……おっとなー」  レンが呆れた目つきであたしを蔑む。こいつは仕事の関係で色んなとこに行ってるから 耐性ができているだけなんだ。あたしの反応が普通なんだ。中学生だけでこんなとこ来な いって絶対。夜遊び反対! 「大人なレン君に質問があります」 「……なんだよ」 「ビール飲んでもいい?」 「駄目に決まってんだろ! ていうか、ビールなんて飲めないくせになに言ってんだよ」  いや、ほら、あたしも大人になるべきかなーと。 「えーと、カクテルなら飲めるけど」 「だから駄目だって!」  ですよねー。  ―――まぁ住めば都というか。実際に入店してみると、そこはちょっとお洒落なだけで ちゃんとレストランをしているわけで、当然メニューがあればお冷やも出る。手をあげれ ば店員さんが来てくれる。注文すれば料理が出てくる。おかしなことなんてなにひとつな い。……内装以外は。  あたしは、キルトやらコアウッドの彫刻やらが飾られた店内を物珍しげにきょろきょろ と見渡す。こういうのがレンは好きなのかな。  注文は、あたしはなんかかっこよさそうなカタカナの料理を何品かどばっと指さす。レ ンは「マックはイヤだ」とか言ったくせに、やたらとボリュームたっぷりなハンバーガー を頼んだ。ドリンクは二人とも本日おすすめのトロピカルジュース。見た目はゴージャス だけれど、味は想像したより酸っぱかった。 「んー、不思議な感じ」  ロコモコとかいうぶっかけご飯を突っつきながら、あたしは言う。 「なにが?」とレン。「この店、そんなに変かなぁ」 「そうじゃなくて」  あたしとレンが一緒に買い物(携帯電話を契約しただけだけど)したり、わざわざお店 を選んで食事したりすることが―――不思議。 「ああ」レンは無関心そうにナイフでバンズとパティを切り分ける。「いつも一緒だから ね。そりゃ、わざわざどこか行ったりしないよな」  いつも一緒……かなぁ。  確かに家と仕事は同じだけれど、それ以外ではまったく別だ。学校のクラスは別だし、 そもそもレンは忙しくてあんま学校来ないし、友達も被らないし、趣味もまったく違う。  最近は仕事ですら別々なことが多い。あたしは歌手として、レンは作曲家として、特化 されていってるような気がする。  まぁ家族なんてそんなものだから、別にいいんだけれど。 「どう、最近? 元気にやってる」  あたしの質問に、レンは「ぶっ」とジュースを噎せた。失礼なやつ。 「……なに、その質問」 「いや、会話に困ったときはこれかなーと」 「会話に困ったのかよ」 「そりゃあ、わざわざレンと話すことなんてないし」 「だったら黙って食べればいいじゃん」 「ん」  それはその通りだ。  でも、いまだから話せることってないのかな。せっかくの機会なんだから、そういうの を探してみたい気分。フォークをくわえながら、頭の中をぐるぐると回転させる。 「あー」  そうだ、一番気になっていることがあるじゃん。 「ミク!」 「あ?」 「ミクのシングル曲どうなった?」 「バカ……!」  レンは慌てて前に乗り出し、あたしの口を塞ぐ。 「声がでかい。オレが書くってのはまだ未発表なんだぞ」  自意識過剰って言いたいけれど、ミクはあたしたちとは人気の桁が違う。プロモーショ ン戦略もかなり計算されて行われているらしい。それに伴う守秘義務の暴風雨。だから余 計なことは場末のレストランだろうと口するのは禁止。  レンは、鏡音リン≠フタイトルすべての作曲・編曲を手がけている。あたしはレン以 外の曲をオリジナルでは唄ったことがない。それはレンにしても同じ。レンも、あたし以 外に自分の曲を唄わせたことはない。―――いままでは。  作曲家としてのレンの注目度はとても高い。当然だ。十台前半という若さで類い希なる 才能を発揮して、たゆまぬ努力で知識を深める。感性は鋭く、詩想は無限。歌うかライブ で暴れるかしかしないあたしとは違う。レンには大人たちを屈服させる実力があった。  だから作曲の依頼は常に殺到。誰もが「作詞編曲作曲・鏡音レン」または"feat.REN"の 表記を欲しがった。―――それに対するレンの返答は、 「リン以外で書く気はありませんから」  まさに頑固一徹職人魂だったわけだ。  どんだけシスコンなのー。  ……でも、二ヶ月ぐらい前から風向きが変わった。 あの¥演ケミクからの直接指名。同じボーカロイドとはいえ、箱でぎゃーぎゃーやって いるのがメイン活動の鏡音リン≠ノ、世界規模の初音ミクが「曲を書いてほしい」と打 診してきたんだ。これってとんでもないこと。シド・ヴィシャスとジェームス・ブラウン と矢沢永吉が肩を並べて「一緒にカラオケ行こうぜ!」と誘いに来るのと同じようなもの だ―――と思う、たぶん。  さすがのレンも断れなかった。断れるはずがない。  だってミクはあたしたちにとって憧れの最前線。理想の到達点。ボーカロイドとして誕 生したのならば、誰だって初音ミクを目指さずにはいられない。  あたしたちが努力の末に数千人のファンを集めてライブをできるのがひとつの奇跡なら ば、数十万、数百万もの歓呼を支配するミクは、奇跡を自在に操るボーカロイドの神様だ。 一体どれほどの作曲家がミクに歌ってもらいたいと願っているんだろう。  だけど、選ばれたのはレン。それもアルバム曲ではなくシングル曲。成功への直通切符 だ。もしここで「オレはリン以外……」なんて言ったら、間違いなくぶっ飛ばしていた。 あたしを言い訳にして尻込みするなんて許さない。  でも、レンは言わなかった。二つ返事で了承した。あたしより数十ステップ早く、世界 のステージに羽ばたこうとしている。 「もしシングルが発売されたら、ライブでカバーとかしたいなぁ」 「……」  ん、無理なのは分かってる。ライブなんてなんでもありだけど、さすがに作曲家本人が カバーとかアレンジなんて、契約上するわけにはいかないもんね。 「この前、ミクのワールドコンサート招待されていたでしょ? どうだった? あたしも 行きたーい。最前でめちゃくちゃ頭振ってやるんだ。ミクの視線も絶対にもらうよ」  スタンディングじゃねえし。モッシュなんかしたら速攻で叩き出されるし。―――なん て突っ込みは帰ってこなかった。 「……」  あ、あれ。なんだろう、この沈んだ雰囲気。どうしてレンは思い詰めた表情をしている のかな。あたしはなんにもまずいこと言ってないはずなのに。  レンはすっかり黙り込んでしまった。作業的にフォークを口元に運んでいく。店内に流 れるお気楽な洋楽が、やけに寒々しく聞こえた。 「……そろそろ出よっか」 「え?」  まだあたし、全部食べてないんだけど―――と抗議したかったけれど、レンはハンバーガ ーを綺麗に片付けている。もしかしてあたしが頼みすぎ? 確かに、おなかはもう満足し ているかな。残りはレンに食べてもらおう。成長期だもんね。 「いや、残せよ。ていうか出るんだって」  おお、なんて有無を言わせない。レンが傲慢モードになっている。こういうときは「は ーい」と大人しく従っておくのが相棒の務めだ。  お財布はレンに任せていることだしね。  店の外でなにか言うのかと思ったけれど、駅までの道も、電車の中でも、レンはずっと 無言だった。「作曲家モード」とは違う、苦しみの表情。難しい顔をしてあたしと同じ色 の瞳を揺らす。  なんでそうなってしまったのか。普段は悩む素振りなんて欠片も見せないのに。  原因は分かっている。あたしがミクの話を振ったから。ただの雑談のつもりだったんだ けど、レンの憂鬱回路に直接攻撃を仕掛けてしまったらしい。  レンは苦しいことも楽しいことも自分からは言わない性格だから、こういうとき、接し方 にとても困る。  どうしてひとりでなんでも抱え込むの―――思うことはあっても、決して尋ねたりはしな い。だって答えは分かりきっているから。あたしには、ひととなにか分け合うような上等な 機能はついていない。楽しみも苦しみも全部独り占め。……なんだ、やっぱり双子じゃん。  電車を降りて地元に帰還。自転車の二人乗りも行きに比べるとひどくぎこちない。  このまま無言でおやすみなさいかな。……なんて思っていると、レンが唐突に話しかけて きた。あたしは自転車の後ろに乗っかっているから、表情は窺えない。。 「約束、覚えてる」 「約束……」レンとした約束なんて星の数ほどある。「どの約束?」 「ミリオン」 「ああ―――」  約束というか目標というか誓いというか。メジャーで活躍する以上は、いつか必ずミリ オンをとろうというのがあたしたちの口癖だった。  別に、そこまで高望みの夢じゃない。あたしとレンならば必ず達成できる。……さすが にいますぐには無理だけれど、一年後には必ず。  でも、「目指せミリオン」の話がいまどうして出てくるんだろう。 「オレ、さ」ペースを崩さずにペダルをこぎながら、レンは言った。「初音さんのシング ル出したら、次はアルバム一枚全部作ってみないかって言われてるんだ」  ―――は?  目をまん丸に見開くぐらいの反応しかあたしにはできなかった。まさに絶句。ていうか マジ? 初音ミクをアルバム一枚丸ごとプロデュースなんて、聞いたことないんだけれど。 「シングルの売れ行きが好調だったらって条件付きだけどな。でも、売れるのは間違いな いし。ミリオンもいくぜ。そんくらい派手に宣伝するらしいから」  ビッグマウスねと冷やかすのは簡単。でも、歌い手はあの初音ミク。ミリオンヒットな んてもう何枚も叩き出している。初音ミクの名前に「feat.鏡音レン」という話題性がトッ ピングされれば、それだけでミリオンの価値はあった。 「夢、叶うじゃん。やったじゃん」  おめでとう、レン。本気でそう思う。一番近くで見ていたあたしだから分かるんだ。レ ンは初音ミクにだって負けないぐらいのポテンシャルを秘めたボーカロイド。ならば、ミ クを踏み台にして登り詰めていけばいい。 「バカ、違うだろう」  自転車をこいだまま、レンは憮然と言い放つ。 「……オレ、シングルは諦めるから」 「から?」 「次に出すアルバム、絶対にミリオン取るぞ」 「え―――」  あたしたちが去年出したアルバム、二十万枚すら届いていないんだけど。それでも大ヒ ットなんだけど。もう百万狙っちゃうの?!  あたしが「え、えー!」と慌てているのを見て、レンは深いため息を吐いた。 「分からないかな。オレは、リンが唄った歌でミリオンをとりたいんだ。初音さんとじゃ なくて、おまえとがいいんだ」  初音ミクのアルバムは出せば必ずミリオンヒットを叩き出す。  これはもう時限爆弾みたいなものだ。レンが手がけた初音アルバムがいつ出るかは分か らないけれど、一年はかからないだろう。それまでにあたしたちがミリオンを狙うなら、 次のアルバムに賭けるしかない。  ……な、なんかとんでもない話になっているんだけど。いつの間にか、憧れのスターで あるミクに(勝手に)無謀な勝負を挑んでしまっている。  戦う気なんてさらさらないのに。むしろライブに誘って欲しいのに。これからもがんが んカバーアレンジさせて欲しいのに。―――どうしてこうなっちゃうの。 「ああ、もう!」  車輪がアスファルトを噛みつける。突然のブレーキ。自転車の後輪がわずかに浮く。慌 ててあたしはステップから足を離し、地面に飛び降りた。  太陽もついに沈みきろうかという夜の直前。燃え上がる夕空を背景にして、レンは急ブ レーキをかけた姿勢のままあたしを睨み付けた。 「オレはリンのそういうとこが分からないよ。どうして満足できるんだ。どうしてそんな に楽しそうなんだ。どうして―――どうしてもっと貪欲になれないんだ」  ……なんかあたし、お説教されているんだけど。あまりに唐突な展開に、反感さえ覚え られず呆然と立ち尽くしてしまう。 「初音ミクなんて大したことない」  ワールドコンサートに参加して、直に顔を合わせて会話して、楽曲まで提供することに なって―――如何に彼女が怪物じみているか、誰よりも痛感しているはずの男の子が、自 分を奮い立たせて夕闇に吠える。 「初音ミクなんてあんなの、ぜんっぜん大したことない」  おまえのほうがよっぽどすげえ。そう、レンは言った。 「ぶっ飛ばしてやろうぜ。吠え面かかせてやろうぜ。誰がいちばん凄いボーカロイドかっ て、あの人形女に思い知らせてやるんだ」  ……そう、そうだった。昔からレンの信念は揺るがない。  世界一は鏡音リン。  それを証明するためにレンは歌を作る。あたしの歌を書く。 「リン。オレが、おまえを世界一のボーカロイドにしてやる。この世界の誰よりもまぶし い歌姫にしてやる」  だから歌ってくれ―――そう、懇願するようにレンは言った。  ……いや、あたしはいつもちゃんと歌っているんだけど。それだとまるであたしがスラ ンプみたいに聞こえるんだけど。  まぁ、レンが言いたいことは分かる。  ひとつは不安。初音ミクというモンスターのカリスマに直接触れて、自信家のレンです ら腰が引けてしまった。畏れを感じてしまった。  ひとつは不満。レンが世界のステージにのぼろうとしているのに、「ライブやりたーい」 「頭振りたーい」「お腹減ったー」しか言わないあたしにいらいらしているんだろう。  不安と不満で押し潰されそうなら、あたしが慰めてあげるべきだ。あたしが奮い立たせ てあげるべきだ。それが、世界でたった二人だけの家族の役割。  でも―――  つかつかと、レンが乗る自転車に歩み寄る。すうっと息を吸い込んで―――車体に蹴り をくれてやった。レンはバランスを崩して倒れる。 「おまえって呼ぶなって言ってんじゃん!」 「そこかよ!」 「ていうかウザい。しつこい」  起き上がろうとするレンに、更に蹴りをプレゼント。 「レンって興奮したり落ち込んだりすると、すぐに同じこと言うよね。あたしを世界一と か、ミリオンとか。もういい加減、耳にげそだよ。そんなにあたしが好きなの?!」 「リンは分かってないんだよ。自分がどれほどの可能性を持ち合わせているか」 「自転車に潰されながら言っても全然かっこよくないし」 「おまえがやったんだろ!」 「おまえって言うな!」  自転車に足を乗っけて、体重をかけてやる。ぎゃー、とレンが叫んだ。 「ちょっとミクと仲良くなったぐらいで調子に乗りすぎ。あたしの上に立ったつもりなの? 別にあたしだって、レンが書いた歌じゃなくても唄えるんだからね」  ……たぶん、だけどね。 「そ、それは―――」  マジかよ、とレンは失意の吐息を漏らす。 「マジだよ! ソロデビューしちゃうよ!」  レンがミクにとられちゃう前にあたしのほうから三行半を叩きつけてやる―――ってい うのも悪くないけれど、現実問題としてあたしはいったいレンなしでなにができるんだろ。 誰がみんなに謝ったり取りなしたりしてくれるんだろうか。……うーん、難しい話だ。   やっぱり、さすがのミクにもあげられないかな。 「分かった、分かったよ」  両手をあげて降参を表明する。 「しょうがないから、なってあげるよ」  キミがいう世界一ってやつに。  あたしはレンと一緒に歌い続けたい。そのためには上を目指すしかないのなら、どこま でだってのぼってやる。初音ミクだって超えてやる。 「だから鏡音レン! あなたは用意しないと駄目だよ。歌を。あたしをずっとずーーっと 高いところまで連れて行ってくれる、ものすごい歌を」  ふん、と傲岸な少年は鼻を鳴らす。あたしの右脚の拘束から逃れると、自転車を立て直 し、洋服の埃を払った。 「こっちの準備はいつでもオッケーだっての。いまはリンの歌詞待ち」  ……ぐ、とあたしは言葉に詰まる。こんなときに現実の課題を思い出させるなんて。イ ヤな奴。意地の悪い自信家め。 「信じているからな、リン。いまの言葉……」  もしほんとにレンがミクのアルバムをプロデュースすることになったら、もっと学校に は来なくなるし、家にも戻らなくなるだろう。ライブだって、いままでみたいに頻繁には 開けなくなる。  レンが不安になるのもしょうがない。確かにここは鏡音リン≠フ正念場だ。 「あたしだって!」  親指を突き出す。そして言ってあげるんだ。彼の通称を。ファンのみんなから呼ばれる、 その名前を。 「期待してるよ、レンP!」                               →ひとまずのおしまい ■キャラクター紹介 ・鏡音リン  インディーズあがりのボーカロイド。自称下北系ロック少女。  歌うだけでなく(一応)歌詞も書く。  オリコン常連だがCDの売り上げはそこそこ。しかしライブチケの競争率は非常に高く、 ネットオークションではいつも落札の嵐。アルバムの売り上げも安定していることから、 根強い固定ファンが多くいることが知れる。  趣味はライブ。やるのも見るのも大好き。暇があればライブ遠征に飛び立ち、機会があ ればブッキングに参加したがる。売れるようになってからもその方針を変えないため、 「鏡音お断り」を掲げるライブハウスは数知れず。一応有名人のくせしてライブハウスに 平気で出没して騒いだり暴れたりする。色々と賛否両論の子。  双子の弟・レンがいないと明日にでも野垂れ死んでしまう駄目姉貴。  リンの成功はレンによるところがひじょうに大きい。  初音ミクの大ファンで、ミクが曲を出すたびにカバーアレンジをレンに作らせてる。  ギターを勉強中で、最近ようやくライブで披露できるようになった。 ・鏡音レン  アメカジ大好き苦労派ボーカロイド。  鏡音リンの楽曲プロデューサー。リンの曲はすべて彼が手がけている。  通称レンP。  天才肌でありながら同時に底抜けの努力家でもあり、若年でありながら圧倒的な音楽技 術と知識を持つ。リンがロック好きなためロックメインで活動しているが、トランスやテ クノも得意。弾けない楽器はほとんどないという完璧超人。  当然、歌も歌える。(リンとデュエットすることも多い)  業界では「神童」として注目を浴びている。風の噂ではあの初音ミクに楽曲提供すると か、アルバムをプロデュースするとか。天才の呼び名を欲しいがままにしている。  しかし、レン自身は極度のブラコンで「リンが世界一」という信仰にも近い考えに囚わ れている。そもそもボーカロイドであるレンが作曲をするようになったのも、リンをより 強く輝かせるため。  目的はいつだってリンを世界一のボーカロイドにすること。そのためならどんな苦労も 惜しまない。  クールそうに見えるが、実際はかなりの野心家で、人一倍敵愾心が強い。 ■【omake】  ―――三日が経って。  あたしはその日、寄り道せずに学校から帰ると、部屋着に着替えるのも惜しんで机に向 かった。  レンにあんな啖呵をきってしまった以上、あたしもがんばらなくちゃいけない。とりあ えずは、たまっている曲に歌詞をいれよう。  レンからもらったサンプルは音楽プレイヤーに突っ込んで、学校でひたすらヘビーロー テしていた。イメージは完璧。あとは書いて書いて書きまくるだけだ。  ……だけなんだけど。 「う、うーん」  書けない進まない。カレーパンマンのマスコットがノック部分についたボールペンは容 赦のないストライキを敢行する。ぴくりとも動いてくれない。  ああ、メロンパンナちゃんに買い換えようかな。あれもなんか黄色だし。 「あたしの作詞用ボールペンは寿命が早いな……」  因みに先代はティガーだった。一曲も書けないまま、へし折ってしまった。南無。 「いっそレンがマスコットのボールペンを作ればいいんだよ。そうすればあたしがこんな に作詞で苦しむこともなくなるもん」  今度ライブのグッズ案のひとつとして企画してみよう。 「―――って、そんなアイデアどうでもいいー」  唸っても祈ってもあたしの詩の泉は枯れ果てたままで、ついには「今日はもういいんじ ゃない?」とか「ちょっと仮眠してさ、頭すっきりさせたら」なんてよくない声≠ェど こからともなく聞こえてくるようになった。  ……断固として抗わなくちゃ。レンに面目が立たないもん。 「でも書けないものは書けなーい!」  カレーパンマンを投げ捨てると、机に突っ伏して瞑想を開始する。五分経過――十分経 過――ああ、いい感じに気持ちよくなってきたなぁ―――。  ……ってところで玄関から「ただいまー」の声が響いた。  レン様のご帰還だ。今日は学校に来なかったから帰りは遅いと思ったのに。  階段をのぼる音がし、続いて部屋のドアが開く。そしてもう一度響く「ただいまー」の 声。肝心のレンの姿は二段ベッドと本棚が邪魔して見えない。 「おかえりー。早かったじゃん」 「早めに切り上げた。ちょっといまから用事があるから」 「ふぅん」と適当な相槌を返す。  あたしはボールペンを拾うと、そのカレー臭い頭を唇に当てて考えた。仕事人間のレン が、途中で切り上げてまで優先しなくちゃいけない用事。ただ事ではない。  ……なんかこれで、パズルのピースはすべて揃ったような気がする。作詞はひとまず置 いておこう。モチベーション維持のため、ここはレンをからかうに限る。 「レンさぁ」 「うん? なに」  二段ベッドの向こうで衣服が擦れる音がするのは着替えをしているからだろう。  ―――あ、いま香水まで使った。 「レン、彼女できたでしょ」  努めて何気なく言ってみた。効果はてきめん。わざとじゃないかと疑うほど大袈裟に、 レンのスペースからものが倒れる音が轟く。絵に描いたような動揺。言い訳不可能。 「はい図星ー」 「……な、なにを突然」 「いや、ばればれだし。なんでわざわざ携帯二個持ち始めたのかとか、どうしてあんなお 洒落なお店を下見したのかとか、この答えなら納得いくじゃん」 「別にそれは―――」 「さーて、あたしも出かける準備しようかな」  幸いにも制服姿。いますぐにでも飛び出せる。 「話を聞けって」 「レンも準備しなよ早く」 「はぁ? なんだよ。まさかついてくる気かよ」  あたしは二段ベッドの上段に素早くよじ登ると、かわいいくらいに狼狽しているレンを 不適な笑顔で見下ろした。 「どーせレンが告られたんでしょ。どこの子かなぁ。学校は……ありえないよね。だって 行ってないもの。ファンの子……はもっとないか。そうなると―――」  あちゃーとあたしは顔に手を当てる。 「芸能人だ……。なんてこと。このスケベ!」 「なんでスケベなんだよ」 「あたしよりかわいかったら許さないからね!」 「意味がわかんねぇし」 「『リンよりかわいい女の子なんていないよ』くらい言ってよ!」 「言ったら『うわ、超ナルシスト。キモいー』って返すんだろ?!」 「よく分かってんじゃん!」  ご褒美にVサインしてあげる。 「……あー超めんどくせえ。マジ鬱陶しい」  レンは頭を抱えてその場にうずくまった。あたしは二段ベッドの上からその様子を眺め てけらけらと笑う。 「なんでこういうときだけ勘が鋭いんだよ……!」 「レンのことならなんでも分かるもん」  というか、あれで隠していたつもりなんだ。誰もが認める天才のくせに、変なとこで注 意が行き渡らないやつ。  今度は何ヶ月もつんだろう、とか。どうせまた振られるんだろうな(向こうの都合で告 白されて向こうの都合で振られるのがレンのスタイルなんだ)、とか。そういうことを考 えるだけで口元が綻んでくる。  あー、なんかいい歌詞が書けそうな気分。やる気になってきた。このままミリオンだっ て狙えそう。  レンは悔し紛れに言った。 「……ったく、リンも彼氏作れよ。そうすればちょっとは落ち着くぜ」  うわ、この上から目線はさすがにむかつく。「どうせ無理だろ」と表情に書いてある。 なにそれ、ささやかな復讐のつもりなの。ええ、ええ、確かに無理ですが。 「恋人なんていらないよ。だってあたしにはレンがいるじゃん」  はいはいそうですか、とレンは肩を竦めた。おまえの見え透いたデレ芝居に付き合う気 はないよ。そう言って部屋を出ようとする。 「デートがんばってー。あんまりあたしの話しちゃ駄目だよ。また振られちゃうよー」  くすくす笑いを止めきれないまま、あたしは手を振ってお見送り。レンはあたしを睨み 据えると、びしりと指をさして捨て台詞を残す。 「世界一の歌詞、期待してるからな。がんばって書けよ」  返事も聞かずに部屋を出る。  彼の背中を見送ったあたしは「なにそれ」とふくれ面。自分はデートのくせに!  ―――だけど、ま、期待ぐらいには応えてあげるよ。  あたしはベッドから降りると、改めて机に向き合った。やっぱり失恋の歌にしちゃおう かなぁ、なんて意地の悪いことを考えながら。                                       FIN