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■ 『円盤皇女ワるきゅーレ』総合★推定25代スレッド
274 名前:
宮沢元首相死去 戦後政治の「生き証人」だった
:2007/06/29(金) 22:14:400
華やかな政治経歴が、戦後政治史と重なり合う。「戦後政治の生き証人」だった。
1991年11月から93年8月まで首相の座にあった宮沢喜一元首相が死去した。
池田勇人蔵相(後に首相)の秘書官時代に全権団随員としてサンフランシスコ講和会議に出席し、その後、政界に転出した。首相就任まで、経済企画庁長官、通産相、外相、官房長官、蔵相などの要職を務め、日本の政治意思決定の中枢にかかわり続けた。
宮沢氏は、日本の主権回復と国際社会への復帰、戦後復興から高度成長、経済大国への歩みを通じ、吉田茂元首相直系の保守本流にあって、「軽武装・経済主義」の立場を貫いた。生涯、変わることのなかった政治的な立脚点である。
国際派、知性派、有数の政策通として「ニューライトの旗手」「ニューリーダーの一人」などと称された。政界のプリンスとして「いつかは総理に」は、衆目の一致するところだった。
だが、実際に首相となって、政治家としての頂点を極めた時は、72歳だった。時代は、冷戦の終結、バブル経済の終焉(しゅうえん)で、内外とも激動期を迎えていた。既に、宮沢氏の時代ではなく、遅すぎた首相就任だったのだろう。
自らの首相退陣が、自民党の長期政権からの転落、55年体制の崩壊と重なったのは、皮肉なことだった。
宮沢氏は、よく「王道と覇道があるが、自分は覇道は取らない。首相にはなろうとしてなるものではない」と語った。何度も首相候補に挙げられながら、権力欲の薄さが災いし、機会を逸した。
「自分で泥をかぶろうとしない」「冷静な合理主義者」と評された面が、指導者として、政治課題の解決への強いリーダーシップを欠くことにもなった。
首相時代、バブル崩壊で銀行に巨額の不良債権が発生したことについて問題提起しながら、事態の解決へ、具体的な対策を講じようとしなかった。これが、平成不況を長期化させ、一層深刻なものとすることになった。
未曽有の経済危機のさなか、98年に発足した小渕内閣で、宮沢氏は請われて蔵相に就任した。戦前、同様に首相を経験した後に蔵相となって金融恐慌を乗り切った高橋是清の先例から、「平成の高橋是清」とも言われた。だが、在任中に危機克服は、成らなかった。
今、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げている。戦後レジームを体現した政治家とも言える宮沢氏は、生涯の終わりに、この時代の政治の姿に、どんな思いを抱いていただろうか。
(2007年6月29日2時16分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070628ig91.htm
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