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■ 【鉄人!・・じゃないけど】円盤皇女ワるきゅーレ総合【28号】

782 名前:川島芳子に新生存説…78年まで長春で:2008/12/05(金) 20:23:02
 旧日本軍のスパイとして1948年に北京で処刑された川島芳子について、中国吉林省長春市の民間研究者が「実際は処刑を逃れ、78年まで長春で暮らしていた可能性が高い」との調査結果をまとめた。

 今年が処刑から60年に当たることもあり、地元メディアが相次ぎ報道し、話題になっている。

 元吉林省芸術学校長の李剛氏(54)らによる調査で、長春に住む段続?さん(64)、張?さん(41)母娘の証言が核。段さんの養父(2004年に86歳で死去)が2000年と死去直前の2回、一家と付き合いがあり、78年に死亡した「方おばさん」について「実は川島芳子だった」と打ち明け、自らの死去前に遺品を引き渡したという。

 遺品は川島と親交があった歌手兼女優、李香蘭(山口淑子・元参院議員)のレコードと七宝焼の獅子の置物、フランス製双眼鏡、日本画の模写など。養父はレコードは李香蘭に、獅子の置物は川島の秘書だった小方八郎(故人)に渡すよう頼んだという。

 李氏らによると、養父は満州国の警察学校を経て、警察幹部の日本語通訳を務めた。張さんは「祖父は『警察学校時代の仲間2人が金で処刑の身代わりを用意した』と言った。川島芳子とは面識があったそうだ」と証言。方おばさんは長春郊外に住み、仕事はせず、張さんに日本語や日本の歌などを教えたという。

 この調査がきっかけで、清朝の皇帝一族だった愛新覚羅家の末裔(まつえい)、徳崇(溥旻)さん(63)も「55年か56年に瀋陽で会った」と明らかにした。中年女性が自宅を訪れた際、父親が「ああ、璧輝」と声をかけたという。川島の中国名は「金璧輝」。日本人の養女になって名前が変わったが、もとは清朝の王女だった。徳崇さんは「姉から『あの人は金璧輝と言い、文武に優れ、代わりに死んでくれる人までいる』と教わった」と話す。

 ただ、決定的な証拠は見つかっていない。「東洋のマタ・ハリ」「男装の麗人」の異名を取った川島に関しては処刑直後から替え玉説が流れ、過去にも生存情報があった。「川島芳子を偲ぶ会」(長野県松本市)の穂苅甲子男会長(84)は「早朝、寝間着姿のまま連行された川島に所持品を持ち出す余裕はなかったはず。今回の真偽はよくて五分五分ではないか」と話した。



ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081205-OYT1T00593.htm

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