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■ 【三十路?】円盤皇女ワるきゅーレ総合【30】

239 名前:名無し客:2009/07/04(土) 07:30:25
(前略)昨年末、アメリカの軍需企業ノースロップ・グラマンの専門家が集まってプロジェクトチームを結成し、ナチス時代の本物の設計図と、現存している唯一の機体を基に実物大のHo229を複製した。モデルとなった機体は、戦後50年以上に渡ってアメリカ政府関連施設に保管されていたものである。

 全翼機であるHo229は、今日のアメリカのステルス戦略爆撃機「B-2」とよく似ており、最近のSF映画に登場しても違和感はないほど洗練された外観が目を引く。第2次大戦当時に活躍した航空機とは全く異なる印象だ。主な構造材は鋼管ベニヤ板から成り、ジェットエンジンを動力として最高時速約970キロで飛行できるよう設計されていた。

 また、4基の30ミリ機関砲、および2発の500キロ爆弾を搭載する仕様で、実戦時には相当な攻撃力を持つ機体になるはずだった。

 1944年のクリスマス直前、Ho229試作機がテスト飛行に成功した。しかし、すでにナチスに残された時間はほとんどなく、実用機の完成には至らず、数機の試作機が製造されたところで終戦を迎ることとなった。

 もしHo229が量産態勢に入っていたなら、歴史にどのような影響を及ぼし得たのか。それにはまず、Ho229のステルス性能をはっきりと特定する必要がある。

 自らが築き上げた“千年王国”が崩壊していく中、ヒトラーは“奇跡の兵器(Wunderwaffen)”という幻想にとりつかれるようになっていった。そこで登場したのが、たぐいまれな才能を持ち、実際にそのような秘密兵器を作り上げたホルテン兄弟だった。

「Ho229の設計を率いたのは、元々はグライダーの設計者だった三男のライマール・ホルテンだ。空気抵抗の削減と性能の向上を突き詰めていく中で、全翼機のデザインばかり考えるようになった」と、アメリカのフロリダに拠点を置く航空歴史学者のデイビッド・マイラ氏は話す。マイラ氏は、1980年代初頭からホルテン兄弟が亡くなる1990年代末まで、実際に何度も兄弟にインタビューを行っており、1998年には『The Horten Brothers and Their All-Wing Aircraft(ホルテン兄弟と全翼機)』という著作を発表している。

 マイラ氏は続ける。「一方、次男のヴァルター・ホルテンはドイツ空軍の軍人で、“バトル・オブ・ブリテン”などのイギリス軍との空戦で多くの仲間を失っていた。復讐(ふくしゅう)に燃えるヴァルターは、イギリスが開発した“チェーンホーム”というレーダーシステムをなんとかしてかいくぐる方法を探していた。そこで、弟のライマールにそのような爆撃機を設計できないかと頼んだのだ」。

 こうして二人の共同作業の結果、ドイツ空軍の中でも例を見ない爆撃機が誕生した。



ttp://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=80316217&expand
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1246010729/

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