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■ 【三十路?】円盤皇女ワるきゅーレ総合【30】

487 名前:【戦没者追悼式】「3人の息子は立派になりましたよ」:2009/08/15(土) 16:14:42
 さいたま市見沼区の池端志津江さん(101)は、三男の正之さん(69)とともに、車いすで式典に参列した。夫の正雄さんは、旧大宮市に住んでいた昭和19年8月に臨時招集され、歩兵第61連隊に入隊。同年12月6日、輸送船でフィリピンに向かう際、台湾南方のバシー海峡で魚雷を受けて船が沈没、仲間とともに深い海に沈んだ。37歳だった。

 正雄さんと池端さんは10年に結婚。当時はまだ珍しい恋愛結婚で、3人の息子に恵まれた。正雄さんは同市内の染め物工場に勤務。毎晩遅くまで働く一方、休日には子供たちと兵隊さんごっこをして遊ぶ子煩悩な父親だった。出征時には「子供たちのことを頼む」と最後まで気にかけていたという。

 埼玉県庁で空っぽの骨壺を受け取っても、夫の死を受け入れることができなかった。正雄さんが勤めていた工場で働きながら女手一つで子供を育てた。「引っ越したらお父さんが帰ってこられなくなる」と思い、終戦後も家族で暮らした木造の長屋に住み続けた。


 3年前、ビル建設に伴い、長屋からの立ち退きを迫られた。長男の幸夫さん(73)夫婦の説得でようやく同居を始めたという。

 「お父さんは死んでいない」。長らく息子たちにこう繰り返し、戦争の話を避けてきたという池端さん。昨年夏に全国戦没者追悼式の様子を伝える新聞記事を見て、「私も参列したい」と突然、幸夫さん夫婦に訴えたのだという。

 「天皇、皇后両陛下が慰霊碑に深々と頭を下げる様子をみて感動したようです」。正之さんは夫の死を受け入れる覚悟を決めた池端さんの気持ちをこう代弁する。

 15日、たった一枚だけ残された正雄さんの遺影を胸に、式典に臨んだ。「お父さん、会いに来ましたよ。3人の息子は立派に育ちました」。正雄さんにこう伝えるつもりだ。



ttp://sankei.jp.msn.com/life/education/090815/edc0908151108002-n1.htm
ttp://sankei.jp.msn.com/life/education/090815/edc0908151108002-n2.htm

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