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■ 【三十一】円盤皇女ワるきゅーレ総合【31】
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ノムさん、京丹後市初の名誉市民に涙 その訳は…
:2009/11/23(月) 07:31:03
京丹後市の市制5周年記念式典が21日、峰山町の府丹後文化会館で開かれ、網野町出身でプロ野球東北楽天前監督の野村克也さん(74)に初の名誉市民の称号が贈られた。
野村さんは「いつも心の中に丹後は存在した。丹後のことは生涯忘れません。何か役に立つことがあったら呼んでください。いつでもやってきます」と謝辞を述べ、感極まって涙を流した。
両親の墓参りをした後に会場入り。少年野球の子供たちから熱烈な歓迎を受けた。式場を出た後に記者会見に臨んだ野村さんは「まいったなあ。おれもお迎えが近いよ」と笑わせ、「涙の訳はお袋なんです」と語り始めた。
府立峰山高校を卒業して56年。父親は2歳の時に戦死し、何も覚えていないという。苦労に苦労を重ねる母ふみさん。古里には「いい思い出は何もない。なんでこんなにつらい思いをせないかんのか、子供心にいつも思っていた」という。金もうけして楽にさせたいとの一心で、プロ野球の世界にテスト生で入った。
南海時代に安月給の中から毎月1000円を仕送りした。その後は額も増えたが、ふみさんは「1000円の時の方がかあちゃんはうれしかった」と話したという。「親孝行とはこういうものなんだなあ」と野村さんはしみじみと振り返り、今回の名誉市民の称号について「生きていたらお前には資格はないと言うんじゃないかなあ」と語った。
ふみさんは68(昭和43)年に64歳で亡くなった。「息をひき取った時、苦労するために生まれてきたと思った」と野村さんは語った。老後は古里で暮らしたい気持ちもあるが、「女房が決める。帰ることがあるとすれば、女房が先に死んだ時かなあ」とほほ笑んだ。
ttp://mainichi.jp/select/wadai/news/20091122mog00m040022000c.html
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