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■ とかげ
- 216 名前:零姫 ◆1kpREIHIME :2009/09/03(木) 21:36:06
まずは一閃、裂帛の斬撃。その軌跡に重なるようにして逆袈裟が一太刀。
神刀二振りによる十字の剣閃は、型破りに乱暴でこそあったものの、刃を振るう者の
拓けた未来≠ノ対する希望を、不屈の精神を、真摯に描写していた。
暴力と呼ぶにはあまりに感傷的な十文字の刃。―――吃驚と焦燥に我を失っていたア
セルスは、殺気を気取ることすらできず、正面から剣閃を浴びた。
自分の左腕が落ちて、初めて彼女は自分が斬られたことに気付く。
「な―――」
なぜ、私は斬られた。
なぜ、イーリンは私を斬った。
なぜ、彼女はそんな野蛮な表情を作っている。
なぜ、なぜ―――
呆然事実とはまさにこのこと。訳も分からぬまま親から平手打ちを食らった童子のよ
うに、アセルスはきょとんとした目つきでイーリンを見つめた。
「どうして……」と暗に語る魔眼が徐々に強張っていく。現実から目を背けようにも、
刀痕から流れ出す蒼血が逃避を許してくれない。
―――問いかけるまでもなく、答えはひとつしかなかった。
「……なんて、コト」
要するに、彼女はイーリンではなく。
こいつは初めから私を謀るつもりで。
つまり、私の愛念を逆手に取った―――道化。
「そ、んな―――」
……とかげが追い打ちの太刀を用意しなかったのは、先の十文字の必殺を信じていた
からなのかもしれない。月下美人と嘯風弄月―――いくら妖魔の君といえども、なんの
防御もせずに正面から浴びれば致命傷は免れない、と。
事実、アセルスは重傷だった。左肩から胸にかけて刃が通り抜けた。左手は二の腕か
ら斬り落とされ、胸の疵は心臓にまで達している。
この世界≠ナの初めてのダメージらしいダメージが、まさかそのままゲームの終わ
りを告げる合図になろうとは。彼女の肉体と心の均衡が崩れたいま、針の城≠フ浸食
もキャンセルされるに違いない。―――違いないはずなのだが。
アセルスは怒りで道理をねじ曲げた。敗者の法則を撥ね付けた。
「貴様……分かっているのか」
自分が禁忌を侵したことを。
もっともやってはならないことを、してしまったことを。
この私の愛情を無惨に踏みにじったことを。
私は、本当に―――
「喜んでいたんだぞ!」
血の泡を吐きながらとかげに飛びかかる。
半死人の抵抗……と侮るなかれ。月下美人が奪われたとしても、アセルスにはまだ幻魔
がある。この針の城≠ナもっとも醜く、もっとも利己的な―――つまり彼女自身に等し
い、恐るべき魔剣が。
闇に手をかざし、距離の概念を歪めて、虚空の鞘から幻魔を引き抜―――けない。
柄に手をかけられはするのだが、こっち側≠ノ持ち出すことができない。
―――火炎天≠ナ、シャオジエ/アセルスはイーリンを使って〈紅の魔人〉の胸に幻
魔を突き立てた。深紅の刃は、未だに彼の心臓に噛み付いたまま離れていない。
離れてくれない。
「ゾズマ……!」
彼は、自身の心臓を鞘に見立てて幻魔を封印しているのだ。
アセルスは確かに霊視した。火炎天≠フ書棚で、脂汗を滝のように流しながらも涼し
げな笑みを消そうとしない上級妖魔の姿を。
月下美人は奪われ、幻魔は封印させられた。
妖魔の君の象徴ともいえる二つの刃をいっぺんに失ったアセルスは、一瞬だけ攻撃の手
段に悩み―――その一瞬の逡巡がすべてを手遅れにした。
アセルスはまたもや油断した。怒りに囚われ、とかげに意識を傾けすぎたあまり、彼女
の世界≠フ果てから谺する奇怪な轟きを忘失してしまった。
音は瞬く間に近づき、彼女の耳元で雄叫びをあげるまでになっていたというのに。
まず、視界に黒い影が飛び込んだ。
それが猛スピードで回転する車輪だと気付くより前に、アセルスの躰に鋼鉄の騎馬が突
撃する。浮遊感が訪れたが、すぐにそれは落下へと転じ、地面に墜落する。夜を踊るよう
にして跳ねられたアセルスは、まるで調律の狂った人形のように細かく痙攣した。
霞む意識の中でほぞを噛む。―――まさか、あの音の正体はこいつだったのか。
「待たせたのう」
後輪を滑らせて方向転換をした零姫は、それ≠ノ跨ったままとかげに手をさしのべた。
まるで焼却炉にシートと車輪を無理矢理くっつけたかのような無骨なデザインは、クー
ロンでは高価ではあったが、見慣れないものではなかった。
それ≠ヘイーリンの足≠フ役割を果たしていたものであり、こうなってしまったいま、
唯一ともいえる忘れ形見だった。
―――そう、概念武装化された蒸気スクーターである。
「ほら、さっさと後ろに乗れい」
照れを隠すように零姫は素っ気なく言った。
「約束通り一緒に外≠ヨと往ってやるわい。それものんすとっぷ≠ナじゃ!」
アクセルを空吹かしする。蒸気機関から伸びる鉄筒が鬨の声をあげた。
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