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■ とかげ

217 名前:零姫 ◆1kpREIHIME :2009/09/03(木) 22:57:51

 とかげから受け取ったイーリンの一部を、大事そうに懐にしまう。

「よくやった。よくアセルスに取り込ませなかった……」

 とかげが後部座席に跨ったのを確認して零姫はアクセルを回した。
 臀部を棍棒で叩かれたかのような急発進。前輪が浮き上がり、危うくとかげもろとも
置き去りにされそうになる。
 いかにも拙い運転。
 ……幻獣の召還や使役は熟達している零姫でも、こういった無機物の乗り物にはまっ
たくと言っていいほど馴染みがなかった。いっぱしに運転してきたように見えるが、そ
れはこのスクーター≠フ操作方法が「ハンドルを回せば走り出す」という簡素極まり
ないからであり、零姫自身は四苦八苦しながら車体にしがみついている状況だった。

 そも蒸気スクーター≠ネどといっても、それはあくまでイーリンが残した記憶の形
骸であり、存在は極めて概念的で精密な機械とは程遠い。現実と心象が混濁した針の
城≠ノおけるイメージの産物に過ぎないのだ。
 だから石炭をくべなくてもタイヤは回る。このスクーターを動かすのは蒸気ではなく、
零姫の意志の輝きだ。彼女が走ると信じれば―――無骨な鉄馬は忠実に嘶く。


 ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ―――


 第七層土星天≠通過し、二人はついに第八層恒星天≠ヨと至る。
 第十層至高天≠フ先に待つ城外≠ヨ。更にリージョン港より向こう側にあるはず
の、本当の外≠ヨと―――迷いも躊躇も捨てて、二人を乗せたスクーターは快走する。
 恒星天≠いくら走れども真っ平らに舗装された道路しかなく、現実には剣山の如
く密集しているはずのペンシルビルの風景はどこにも見えなかった。
 アセルスの支配力が弱まった針の城≠ヘ、もはや零姫ととかげの意志の力を阻むほ
どの幻想を顕現できないでいるのだ。

 ―――行ける。

 小さな躰を更に前傾して、零姫はスピードを速めた。
 
 ―――イーリンを外へと、連れて行ける。

 胸に広がるのは希望。過去、幾千幾万と踏みにじられ、絶望へと置き換わった儚い感
情。それでも捨てきれず、諦められず、胸の奥底に隠し続けていた想い。
 それがゆっくりと花開いていくのを―――零姫は確かに感じた。

218 名前:零姫 ◆1kpREIHIME :2009/09/03(木) 22:58:11

 ―――ふざ、けるな。

 二人を乗せた鉄馬が走り去った地で。
 妖魔の君主は四肢を投げ出したまま、地響きの如き呻きを漏らした。
 例え致命傷に見えようとも、物理的なダメージにはなんの意味もない。ここは彼女の世
界なのだ。世界の支配者を殺したければ、世界そのものを破壊するしかない。

 そしていま、アセルスの世界≠ヘ脆く崩れ去ろうとしていた。

 少なくとも、クーロンに浸食した針の城≠ヘ限界を迎えている。アセルスの心理的ダ
メージが、あまりに大きいからだ。

 混沌を象徴する濃厚な闇は薄れ、非現実的な茨の大群は急速に枯れてゆく。どこからと
もなく眩い火が上がり、それは瞬く間に世界¢S体へと広がっていた。
 アセルスの城が燃えていく。
 策謀に策謀を重ね、とかげとイーリンを利用し、IRPOを出し抜き、十年以上の月日を注
いだ結果、ようやくゾズマの張った結界を破れたというのに―――クーロンを丸ごと取り
込み、零姫を捕らえるという悲願が炎に包まれてゆく。
 闇を蹴散らす焔の勢いはあまりに強い。

 クーロンが、燃える。

「―――まだだ」

 躰を引きずるようにして、アセルスは立ち上がる。

「例え、針の城≠失おうとも。我が世界の顕現に失敗しようとも。……私は諦めな
い。私は決して逃がさない。私は追い続ける」

 零姫もイーリンも私のものだ。

「バイコーン!」

 アセルスの声に応じて彼女の影が蠢いた。
 水面のような闇から巨馬が躍り出る。
 山羊の如き雄々しい二本の角を持ち、怖気を振るうほどに黒い毛並みを誇る魔獣――
―不純を司る二角獣バイコーン≠セ。

 アセルスは隻腕にも関わらず愛馬に跨ると、馬の腹を蹴って走らせた。

 とかげに負わせられた刀傷からは、鮮血の代わりにさらさらと闇が溢れ出している。
 アセルスが針の城≠ネのか、針の城≠ェアセルスなのか―――境界線が限りなく
曖昧になっている証拠だ。
 浄化の炎は高く高く上っていき、アセルスの世界≠現実の風景から猛烈な速度で
追い出していく。
 ……残された時間は少ない。

 赤炎の幕があがる。
 炎上する針の城≠ナ、いま、フィナーレとなる逃走/追走の劇が始まった。

219 名前:零姫 ◆1kpREIHIME :2009/09/03(木) 22:58:25

 ―――そして。
 
 鉄屑の墓地と化した機関車の残骸にて。

 自らの棺桶になるところだった冷蔵庫の扉を蹴破って、その寵姫は戻ってきた。
 大げさに頭をさすりながら呟く。「あいやー、死ぬとこだったアルよ」

 おどけたまなこが見据えるのは外≠フ方角。追う主と逃げる余所者がいるであろう
世界≠フ果て。
 彼女はしばらく立ち尽くし、考えた。
 自分は所詮寵姫であり、あのお方の所有物に過ぎない。これ以上首を突っ込むのは僭
越というもの。主君が私の姿を借りたのは、あくまで完璧な変装のためなのだ。
 他の寵姫同様に大人しく成り行きを見守ろう。別に零姫やらイーリンやらがどうなろ
うと、自分には関わり合いがないのだから。

 ―――しかし。

「……乗りかかった船ネ」

 そうして、道化もまた終幕へと参加する。

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